闘牛とプロレス

ゴールデンウィークに長野に行ったついでに新潟に足を延ばした。正直、ついでというにはずいぶん遠かった。長野駅から高速バスで3時間強。

新潟に住む友人と数年ぶりに呑んだ。次の日、時間があるので、車で案内してもらえることになった。
午前2時頃まで飲んで、ホテルについてテレビをつけるとプロレスをやっていた。

なんとも痛そうである。特に、場外に出て恐らく鉄製の柵にぶつかるシーンなど見ていられない。
そして、たたき合うシーン。エイ、エイ、とチョップをかます。パフォーマンス優先とはいえ、実際に痛そうだ。お互い、痛々しいのだが、しかし覇気のようなものも感じる。トウチャン仕事してるんだぜ、という声が聞こえた気がする。そういう見方はして欲しくないのだろうけど。

翌日、中越地方を案内してもらう。中越地震で被害があった地域にも回る。友人は新聞記者で、いろいろな話を聞けて楽しい。
中越地震は過疎化を早めることになってしまったのだが、それでも地域差はあり、明確な傾向として、「闘牛の習慣が残っている地区は元気だ。」という。
これは原因と結果がまじりあっている例だろうと思った。そもそも、地域の祭りの多くは地域コミュニティを維持させるものとして機能している側面がある。

恥ずかしながら、日本に闘牛の文化があることを知らなかった。地域ごとに闘牛のための牛を飼って、定期的にたたかわせるらしい。牛たちもいつも本気で戦うわけではないらしい。何度も顔を合わせることもあるだろうから、それってプロレスだな、とふと思った。闘牛の一番の見どころは、終わりにあるらしい。最後、自分たちの地域の牛を地域の人たちが何人かでおさえるのだが、その息がぴったりと合っていて圧巻なのだそうだ。今度新潟に来るときは闘牛を観てみたいと思う。

自然に振る舞えたら一番なのだけど

何気なく座っていたら、隣の人が前で赤ちゃんを抱えて立っているお母さんに席を譲った。どちらかと言うと私の方が近いところにいたのだけど、全く気づかなかった。そりゃあ、赤ちゃん抱えてずっと立っているのはしんどいよなあ。譲り終えるまで、ごく自然で、颯爽としていた、そんな風になりたいと思った。

いつも行く喫茶店に入ったとき、バイトのお兄さん(といっても私と2、3違いのようだが)は私を見て、明らかに少しそわそわして、氷なしがいいんでしたよね、と言って氷を入れていない水を出してくれた。この喫茶店では最低1時間はいて、どういうわけか喫茶店でコーヒーを飲み干すと、水を飲み続けてしまう私は、氷が苦手である。こういうことを言うと、女子みたいだ、と言われるのだけど。夏場、クーラーがよく聞いている時はなおさらである。そういうわけで、こうやって気遣ってもらえるのはありがたいし、そして、その「ホスピタリティを発揮するチャンス」のドキドキ感というのもよくわかる。

ほんとはそういうことを微塵も感じさせないでできてしまうのが一番カッコいい。でも、かっこわるくても行動してもらった方が嬉しい。

京都駅で、私より10くらい年上と見られる女性とその両親と見られる家族連れが、その女性が、おばさんに隣で英語で電車についてなにか尋ねている。おばさんは困惑顔である。これは「ホスピタリティを発揮するチャンス」。
「osaka」に行きたいという。目の前に止まっている電車は行くのか。そこには各駅停車が止まっている。私は、「行き先はosakaなのか」と確認して、それなら次の電車にのるといい、私もそれに乗る、と言った。ちょっとそわそわした感じで、その後、彼女らも少しそわそわしている。本当なら、「this train stop every station」くらいをちゃんと説明すればよかった。と思った。

電車に乗り込んだ後、その女性はしっかりしていそうだし、たぶん、大丈夫だと思うのだが、「shin-osaka」と「osaka」は紛らわしいので、私は席には座らず彼女ら一行を見守り、新大阪でおりる前に、「osakaは次だよ」と言おうと思った。それなら、すこしカッコいい気がした。新快速はどの時間も席に座るのは難しいから、あえて座らないのというほどでもなかった。で、宮部みゆきの「模倣犯」の世界浸りつつ、チラ見していた。途中、何やら地図を開いていた。何気なく話しかけ、その地図の先までのプロセスを説明してあげられたらいいのに、と思ったが、それはちょっとやり過ぎのような気もして。結局、宮部ワールドに戻った。

新大阪で降りるとき、予定通り「osaka is next」と言ったら、彼女らも降りるのだと言う。「shin-osakaで降りる」と言った。ちょっと予想外。降りてすぐの階段を上りつつ、キャリーバックを持つ彼女らが少し気になる。エレベーターはもう少し行けばある、で、振り返って、そのことを言おうとして引き返したのだが、「ダイジョウブ、センキュ」みたいなことを言われて、なんだか照れくさくなって、そそくさと階段を上った。