社会はソーシャルメディアの利用方法を現実とコミュニケーションしながら学んでいる

ソーシャルメディアの炎上騒ぎが続いています。

有名どころは、とあるローソンのアイスを入れてる冷凍庫の中にバイトが入った写真をSNSに投稿した件です。このケースではローソンが公式に謝罪し、この店はライセンス停止になったようです。

最初この話を聞いたとき、そこまで騒ぐものかなあ、というのが感想でした。さらに、こんな風に締め付けていくと、現場の雰囲気は悪くなっていくのが心配だと思ったりもしました。

この騒動にはいくつかの論点があります。
ざっと列挙してみると、

・ソーシャルネットワークの使い方論
・たいしたことでないのにここまで騒ぐってどうよ
・衛生管理から見てやっぱり許せない
・飲食の裏側なんて汚い部分はいくらでもあるが可視化されるようになった
・おバカなことをする人は一定存在するが可視化されるように
etc….

それで一番のポイントは何かと考えると、社会が痛い思いをしながらソーシャルメディアとの付き合い方を学んでいることではなないかと思うようになりました。

2年ほど前の記事ですが、砂場としての2ちゃんねる(レジデント初期研修用資料)という記事で、実名ベースのSNSを「ヨハネスブルグのメリーゴーランド」、2チャンネルを「豊島園のホラーハウス」と例えて、SNSは一見優しく見えるけど恐ろしいところだと書かれています。言い当て妙です。

SNSに画像をアップするのは一瞬だし、身内だけで楽しんでいるような気持になりがちですが、事実は、リアルの生活と全世界とがあっという間に関連づけられてしまうのです。

SNSのサービスはぱっと見、そんな危険があるようには見えないことが炎上騒ぎの根底にあります。最初からこんなに騒がれて、厳格に処分されるとわかっていたらやらないでしょう。
ローソンの件では、本人はもちろん、店長も、同僚も、いやというほどソーシャルメディアの恐ろしさを知ったでしょう。閉店になったという事実を目の当たりにした近辺では、改めて気をつけようと考えた人、「あんたも気をつけなさいよ」と注意する親、そんなことがたくさんあったに違いありません。

これは、新しいテクノロジーが登場したときにいつも起きていたことと言えるかもしれません。おそらく、テレビが登場した直後は今では考えられないトラブルがあったのではないでしょうか。テレビで人生がおかしくなってしまった人もいたでしょう。何百万の人の目に晒される、という経験はそれまでなかったのですから。

数年後には、SNSに危ない写真をアップしたら、小学生だって顔色を変えてそれを止めに掛かるでしょう。そして、炎上が多発していたこともあったのだという「昔話」を信じられないという表情で聞くのではないでしょうか。もっとも、「まあ、今もいるけどさ」とも言ってそうですが。

ところで、ソーシャルメディアの炎上を、「簡単に犯せるリスク」という観点でみると、身の回りにはいろいろあることに気づきます。今5階に住んでますが、飛び降りれば、命が危ないです。新御堂に飛び込んで車にひかれる、というのもあります。駅のホームから落ちて電車にひかれるとか。あるいは人が集まってるところで服を脱ぐとかしたら、社会的信用は失います。つまり、簡単にできるが、人生を台無しにしてしまうインパクトのあるリスクというのは、ソーシャルメディアに限らずたくさん存在するということです。当たり前の話ですが。この比較で思いつくことは、道路にしても電車にしても、あるいはマンションにしても、通常サービス提供側が危険を軽減する工夫をしているということです。

今までSNSのサービス提供側はむしろ手軽さを追求し、どちらかといえば煽る方向に向いていた気がします。しかし、リスクの観点でみれば、サービス提供側もなんらかの機能を実装する方向に動かざるを得ないことが予想されます。Twitterの規則に攻撃的ツイートを禁止する項目を追加されたという動きは、この方向に進んでいるとみることもできそうです。

いずれにしても、今過渡期にいるということは間違いなさそうです。過渡期が故に、慣れない故の犠牲者が出るということを目の当たりにしているわけです。
ただ、ウェブサービスに限っても毎日新しいサービスは出続けており、常に複数のインパクトの大きいテクノロジーの過渡期を生き続けるのが現代なのかもしれません。そうなると、「新しいテクノロジーとどう付き合うか」というメタの発想が一番重要なのかもしれません。