ホリエモンのスピーチを観て

ホリエモンこと堀江貴文氏のTEDのスピーチを観た。

宇宙開発について語っていて、宇宙開発の状況はインターネットと似ていて、現段階では何が出来るのか誰にもわかっていないけれど、コストが安くなって広く普及して行けばならずその上で何か面白いビジネスが生まれるようになる、という考えは確かにありそうだと思った。

それを聞いて、インターネットの普及過程には、「エロ」という欲望がかなり貢献したはずだけれど、宇宙開発でも何か原始的な欲求が後押しすることになるのかな、なんていう思考実験は面白そうだと思った。

ところで、このスピーチでは時間が押しているのにも関わらず最後に日々ロケット開発において失敗を繰り返している映像を流している。
失敗して爆発してしまうところを何度も流して、その様子を堀江氏がこと細かく説明しながら、会場の笑いを誘っている。

私も最初笑いながら観ていたのだが、同じようなシーンを何度も流し、そして会場が笑っている姿をみて、ふと、私が今笑っているメンタリティは、私が大嫌いな、かつてのホリエモンを引き摺り下す原動力の一つとなった、嫉妬・やっかみのメンタリティと同じなのではないか。と思って、動画を止めた。

苦労しなさい。失敗して、苦しい思いをして、そうでなかったら成功者として認めないよ、という。

以前の彼なら、こんな動画は流さなかっただろう。新しいことに挑戦すれば試行錯誤するなんて当たりまえであって、そんなことをわざわざスピーチに組み込む必要なんてないと考えただろう。

でもそのロジックだけでは、日本では成功者として認めてもらえないということを痛いほど学んわけで、彼ほど痛い思いをして、また戻っていた人はいないかもしれない。

失敗をネタにするというのは王道だと思う。
以前に自分のブログに書いたことがある。特に、自分のことをあまり知らない人に自分のことを話す場合には最適だ。例えば、飲み屋の小話なんかでは。
http://taiji.exblog.jp/12966586/

単純に新しいことにチャレンジし、試行錯誤している様子を見せているだけ、ということであって考え過ぎかもしれない。

でも、新しいことに挑戦している人が試行錯誤している様子を見て笑っているだけじゃダメだよ自分!、という感性は持ち続けたいと思う。

私が大切にしていること

1.You must respect the will of the individual
2. ほとんどの人は赤の他人なので、気に留める必要はありません
3.will と willは縁あって重なる
4.おせっかいな私は、I think と伝える
5.目的、価値観、考え方が近い人ほど言い争ってしまう
6.相手を理解するための2つの処方箋

なんだか自己啓発本みたいで、気持ち悪い気もします。しかし、今思いましたが、自己啓発本はきっと一人ひとりが自分向けにアレンジしたものを「自己啓発」のために持つのが良いかもしれません。そんな「自己啓発」を考えるうえで参考になればと思います。これは自己満足でしかないかもしませんが。

1.You must respect the will of the individual
個人の意思は、尊重されなければならない。

受験勉強で英単語帳Duoを使ってました。受験勉強の何割かをこの本に注いだことがどのくらい効果があったのか、今となってはわかりません。しかし、このフレーズははっきりと覚えています。なぜなら、その最初の例文だったからです。Duoを使っていた人なら、この例文だけは覚えている、という人は多いのではないでしょうか。

まさか高校生の当時にそんなことを思いませんでしたが、私の「自己啓発」の最初のフレーズなのです。そして、絶対であり、重いのです。どのくらい重いかを説明するために、駆け落ちの例を出します。なお、念のために言っておきますが、駆け落ちした具体的な事例を想定してるわけではありません。

結婚しており、子供もいる知人が駆け落ちをしようとしており、そのことを告白された場面を想定します。さあ、大変な話を聞かされてしまいました。配偶者の方と子供がこれから大変苦労することが想定されますので、彼(彼女)がそのことをあまり理解していないようならば、まずはそこを説明するでしょう。男性なら、残された家族は経済的に苦労するよ、とか、女性なら母親がいない子供はかわいそうじゃないかととか。つとめて、軽い調子で話すでしょう。でも、そんなことは百の承知でしょうから、たぶん、あまり意味はないでしょう。

逆に、そうだよな、というなら、彼(彼女)はそう納得するために私に話しかけた、ということになります。それはそれで、私は一つの家庭円満に貢献したことになります。

「そんなことはわかっている。でも相手のことがどうしても好きなんだ」と言われたら?

その先の、彼(彼女)が歩むと思われる苦難の物語を話すでしょう。親戚一同からの激しい怒りを買うことは必至です。当然、当の家族から恨まれるでしょう。一生、その罪を背負っていくのです。なんと大変な人生でしょう、と。

しかし、それも承知の上なんだ。と言われたら、私は基本的に何も言えないのです。彼(彼女)の一度きりの人生なのですから。私が何を言っても所詮は他人、そのwillは尊重されなければならないのです。

これはちょっと極端な例と思われるかもしれません。しかし、私は何か人に働きかけることは、すべてがこのくらいの重いものだと思っています。私が観察する限り、多くの人は簡単に人を変えようとしすぎです。

それは些細な事でも同じです。その人の好み、性格、習慣、癖、あるいは趣味など。一緒にいるとすぐに変えたがる、あるいは自分と違うことにすぐ不快感を表明する人がいます。しかし、その行動は好ましいとは思えません。第一に、人はそういう風に言われると不快感を覚えます。第二に、人はそんな簡単に変えられるものではありません。なので、はっきり言ってエネルギーの無駄です。

そして、私の考え方としては、それ以前に「個人の意思を尊重していない」から出来る限り避けるべき行為になるのです。

2. ほとんどの人は赤の他人なので、気に留める必要はありません
ニュースを見て、けしからん人の存在を知って怒りを表明する人がいます。あるいは、自分の組織にいる人の困った点を延々と指摘し続けるのもありふれた風景です。これらも時間とエネルギーの無駄使いに見えます。

私の実家は栃木県なのですが、東京から栃木に向かう車窓を眺めると、無数と言っていい数の、しかも巨大なマンションが立っています。その一つ一つの部屋に無数の家族が住んでいるのです。その一人一人が悩んだり、喜んだりして生きていると思うと、くらくらします。そして、そのほとんどの人たちと、私はなんの接点もなく一生を終えることでしょう。

中には性格の悪い人もたくさんいるでしょう。どうしようもない人もいるでしょう。犯罪者もいるでしょう。それは嘆かわしいことかもしれませんが、一定数の人間が存在すれば、どうしたって確率的にそのような人は現れてくるものです。ブッダやキリストといった宗教者はみな、時代時代の人心の荒廃を憂いていました。安心してよいことなのかわからないですが、いつの時代もそのようです。なので、犯罪のニュースを見れば残念な気持ちになるのは自然な反応としても、人類社会が常に抱えてきた、その壮大な、解決しない問題にいつも頭を悩ませていても仕方ないです。

しょうがない人、困った人がいて、同じ組織だとか、あるいは血縁関係にあって、完全に関係を絶つことができないなら、できる限り自分の生きる領域の中から排除することが肝でしょう。礼節を持った態度で必要最低限だけ接すればよい。嫌いで、どうしようもないと思うなら、ならばこそ、話題にすら出さないのがいいのじゃないかなと思うのです。

なにしろ、大多数の人間は他人なのが普通なのですから、接触機会を減ったとしてもおかしなことではないわけで、逆に、自分が思考をめぐらす人は特別な、大切にしたい人である、という方が理屈に合うはずです。

3.will と willは縁あって重なる
ほとんどの人は基本は他人という発想は、ベースとして持っていた方がいいというのがスタンスなのですが、すべての人間関係をそんなクールな思考で見ていたらなんともつまらないと思います。

無数にあり、接点がないことが当たり前の、別々のwillを持った個人が、縁があると接点を持ちます。車窓から眺めているときとは違い、なにかのきっかけで出会って、話したりするわけです。そのことは大事にしたい。

基本は縁を生かす、大事にする方向を考えたい。全く別に存在し、別のwillを持っているが、その重なる部分はきっとあると考えてみる。そうすると接点があるときもある。ないときもある。この時も別に無理をする必要はない。何しろ、出会わないのが基本なのだから。

4.おせっかいな私は、I think と伝える
そういう縁があったら、私はおせっかいします。節度あるおせっかいが世の中を楽しくすると思っています。

縁あって、何かしようとしている、という話を聞いたのなら、すぐに真剣に考えてしまう。
どうすることがその人のwillを達成するためにベストなのか?
あるいは、そもそもこの人のwillはなんなのか?
ということを考えてしまうのです。どれだけ役に立てるかは別として。

そしてずれているようなら、おせっかいは承知で、私は××と思う。○○の方が上手くいくと思う。というスタンスで伝えることにしています。実際は、こうした方がいいよ、という調子で話してしまうことが多いのですけど。基本スタンスとしては。

たまに、会ってから間もないない人に対して、長文メールで自分の考えを伝えて、まるで初デートに誘うメールを送った時のようにドキドキしてしまうことがあります。そんなときは、まったくバカだなーと思います。でもそうすると、それに応えてくれる人もいて、それで感謝されたりすると、やっぱり嬉しいわけです。

5.目的、価値観、考え方が近い人ほど言い争ってしまう
主に任意団体のサークルですが、一緒に活動を運営している人同士の意見対立の場に何度か遭遇したことがあります。
人間とは不思議なもので、目的や価値観、考え方が近いほど、感情的に対立しやすくなる傾向があるようです。「愛情の反対は無関心」という言葉がありますが、愛情があるから関心があり、関心を持ちあっているからこそ対立もする、ということなのでしょうか。

何度か、そういう場面の調停をする機会がありました。その原因を一言で言ってしまえば、お互いの理解不足です。これはまさに自戒を込めてですが、もっと前段階として、相手の立場に立って理解しようとする、というスタンス自体が取れていないことが原因になっています。忙しいほど、自分で手いっぱいになるし、一緒に活動しているから同じようにとらえているだろうと考えがちだとか、たぶん、そういう背景が影響していると思われます。

6.相手を理解するための2つの処方箋
そういうときに役に立つ考え方として2つが気に入っています。

1)willとwillの共通項は必ず存在すると確信する
2)どんな人の話もその人しか持ちえない暗黙知としての価値を持っている

1)willとwillの共通項は必ず存在すると確信する について。
ある時、パズルを解こうとしたとき、これみたことがある、と思いました。必至で思い出そうとしつつ、考えていたら解けたのですが、どうも答えにたどり着いてみるとたぶん知らなかったようなのです。あるいは、ベテランのデザイナーが難題を持ちかけられたとき、まず必ず解決するデザインはあると決めて考える、と話していたのを聞いたことがあります。それで考え続けると、ある時、ふっと降りてくるのだと。

どうも人間の脳というのはゴールが先にあって、どうやって解決するか、と考えた方が創造的になるもののようです。
人類という規模で見たとしても同一の祖先らしいので、同じ組織に集って活動しているもの同士、絶対にそれぞれのwillを尊重し合いつつ、一つの方向を向くあり方は見つかるはずなのです。とまず、確信してみる。

結果は重なる部分は小さかったねとか、今はタイミングじゃないね、とかになるとしても。

2)どんな人の話もその人しか持ちえない暗黙知としての価値を持っている について。
経験や知識、技術、あるいはその課題にコミットしている時間の違いによって、自分からみてその人の話の結論は見えてしまい、遮りたくなるかもしれないときに有効。これはおもっきり自戒を込めて。というより、この「自己啓発」はすべて自戒を込めるためのものなんですけど。

野中郁次郎という人の「知識創造の方法論」という本が私の座右の書ベスト3くらいなのですが、その中で暗黙知のことを説明しています。暗黙知はそれぞれの人の身体性や経験、認知によって形作られています。その領域の知識を持たない人は、持たない人として認識した暗黙知を持っています。そして、その認識の上ではそれまでその人が歩んできた人生経験が影響しています。そのため、その人が経験が浅かったり、知識がないとしても、新しい知識を生み出すうえで重要な暗黙知を持っている可能性があるのです。だから、退屈だと思ったとしても、最後まで聞く価値があるのです。