和歌山旅行記③和歌山

高野山を出たのは17時過ぎだった。
電車の中で最近買った、Kindle voyageで、高野山で検索して出てきた電子書籍を買って読んでみた。

どこかの教授の講義録が出てきて、宗教思想史というもので、高野山に特化してものではなかったが、面白くて、1本100円のものをいくつか読みふけってしまった。

読むのも飽きて車窓を眺めようと立って外を見たら、真っ暗で明かりひとつなく、反射している車内しか見えなかった。
昔、iPhoneが出たばかりのころ、単に画面が真っ暗になるという「鏡アプリ」がネタであったが、そんな感じだった。なかなか新鮮だった。
一瞬、「この電車のガラスは何か特殊なものではないか」と思ったが、もちろんそんなことはない。

外は山で文字通り明かりひとつなかっただけだった。京都・大阪に長く住んでいると、そういう状況に遭遇することがあまりなかった。

和歌山では、ふくろうの湯という一応、温泉らしいところに行くと決めていた。午前中に予約できたゲストハウスもそこから近い。電話したとき、この日、外国人が多いよ、と言われていたので、彼らと話すのも楽しみにしていた。温泉まで駅から歩いて20分くらいかかる。

まず軽く腹ごしらえ → 温泉 → ゲストハウス という順番だと決め、腹ごしらえならラーメン、で、食べログで検索して有名らしい、井出商店という店まで歩いた。
5分ちょっと歩く。途中、めげそうになったが、到着。

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味は、おいしかった。また行きたいかというとそこでもない感じだけど。

フクロウの湯はよかったです。また和歌山に行くときはいきたい。
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ゲストハウスのリビングのようなところには、スウェーデン人、アメリカ人、ポーランド人、ドイツ人の旅行者がいた。
11月の3連休の初日だったため、彼らはほかで宿がとれずここにたどり着いたらしい。ちなみに、このゲストハウスは始まって3か月のところだった。

宿に着いたのは22時ごろだったが、飲みに行った。
飲み屋街にあったし、来るとき気になった店もあったのだが、一行はすっと、スナックの店に入って行った。あまりに自然だったので、Japanese Style SNACK に行くと決めていたと思ったがそうでもないようだった。
ここは、Karaokeしたりする特殊なところだ、といったら、アメリカ人から、Youは変えるべきと思うのか、と言われて、Yesといって、店を変えた。

普通のバーにいった。スウェーデン人の男性は、ノルウェーのオスロに住んでいて、オスロにスウェーデン人が多いこと、住みやすいこと。
それから、彼の田舎は人口が4000人しかいなんだ、と言われ、私も小中と住んでいたのは1学年1クラスのところだったので、俺もそうだった、というと、塩原町を検索してウィキペディアのページを開いて人口が1万弱いることをみて、いや、大きいじゃないか、と言われた。

アメリカ人の女性は、次の日高野山に行くという。とてもGoodだったと伝える。彼女は、カリフォルニア州から来たと。禅は最近、Googleがマインドフルネスといって取り入れているといったら、すぐ通じたから、シリコンバレー方面の人だったのかもしれない。

ドイツ人の女性は、マシンガンのようにしゃべっていた。これにはついていけなかった。ウォシュレットについて、Japanese トイレットのサービスは、ヴァイオレンスだ、と言っていた。

ポーランド人の男性は自分で店員に話すというので、ビール、futatsuと、OKAIKEI を教えた。

楽しい時間だった。また行きたい。
ゲストハウス 再花
 

 

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朝は早く起きる。
7時に起きてそのまま出発する。こういう時は、ひたすら歩き回るのが好きで和歌山でもまずは、お城へ。

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徳川の御三家の一つだったわけなので、それなりに立派なのだった。

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欧米の人は特に忍者が大好きだ。だからこの看板のジョークも、英語併記にして、英語だけにNINJAのくだりを入れたら面白かったのに、と思った。

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和歌山に喫茶店は少なかった。
中心地からこのくらいの距離ならあるはず、という私の喫茶店発見器は多く外れた。
しかたなく、一度駅に戻り、そこから探して、もうチェーン店であきらめるかと思い始めた午前10時前に見つけたお店は雰囲気は好きな方だった。コーヒーはあまりおいしいと思わなかったけど。

バスから降りたとき、1万円しかないといったらキヨスクで両替してきてくれと言われる。これは和歌山が田舎というより、バスというのはそういうものらしく、京都でも似た経験がある。その時は終点でなかったので、お金はいいといわれた。今回も、一つ前の駅で降りていたらそうなった板可能性が高い。

和歌山旅行記②高野山

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まずは金剛峰寺へ。これは、秀吉が建てたらしい。その知識のせいかもしれないが、木の彫刻部分は日光東照宮とテイストが似ている気がした。

 

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伽藍。建物のスケールが大きい
 
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修行僧と思しき一団が、幾つかの場所で各方角に向けてお経を唱えていた。
 
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紅葉はすでに少し遅いくらいだった。

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奥の院でまず目につくのが、現代のお墓。製造業とか建築業の会社が事故で亡くなった人を弔っているようなものもあれば、会社名だけ書いてあるものもある。有名どころも多い。

高野山には織田信長、豊臣家、武田家、上杉家といった戦国大名のお墓も多いのだが、大企業というのは現代に置ける藩であり、経営者は殿様として認識されているということなのだと思う。

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こういうのもある。

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FOR SALE

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水かけ地蔵の一帯は少し雰囲気が違っていた。
それは、観光ではなく、実際の死者を弔う気持ちを持った人が多いからだと思う。
そういうところをみても、高野山は過去の遺産なのではなく、現代進行形で信仰され、浸透していると思った。

さらに奥へ行くと、弘法大師を祭った廟になる。
ラスボスといった趣だ。

廟の裏手に杉が聳え立つ奥は、来年が開創1200年ということで工事をしていたが、迫力があった。

和歌山旅行記①:紀伊細川

高野山には、ずっと行きたいと思っていたのに、なかなか行く機会がなかった。
先日、ようやく行ってきた。

 

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なんばから南海電車。江坂から高野山まで2時間半もかからない。

 

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車窓を眺めていたら、外の景色がとてもきれいだったたので、思い切って途中下車してみた。
駅は「紀伊細川」

改札に子猫がいた。
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改札だけじゃなくて、奥にも。
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猫はどうやら、駅員の人が餌付けをしているようで、大変に人に慣れていて、ほとんど逃げなかった。

改札口ではICOCAを扱えないので、窓口奥の読み取り機で処理してもらう。
 
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集落は静かで、物音が全然しない。
風が吹くと、木の葉がかすれる音がはっきりと聞こえるくらい。
 
ただし、電車が近づくと、山の向こうから何かとんでもないものがやってくるかのごとく、キーキーという、大きな音が聞こえてくる。
 
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神社。
 
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デジカメを持っていくと、1枚くらいはこういう写真を撮りたくなる。
 

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レッドブルの赤とマークがあるのだけど、自販機すらない人気の少ないこの場所になんの用があったのだろうか謎だった。

「選挙フェス」17万人を動かした新しい選挙のかたち

昨年の参院選で、元ミュージシャンで、ほぼ無名の候補者だったのに、比例で17万票集めた三宅洋平氏について書かれたもの。

今までにない形で政治の世界に「新規参入」し、成果を挙げた三宅氏には興味があって手に取ったが、面白かった。

ミュージシャンとして活動してきた氏には、音楽、特にインディーズの活動と、政治活動は共通点が多いという。そういう発想はしたことがなかったが確かにそのようだ。

*ローカルな人間関係のコネクションが重要。ライブハウスなど。ライブの後、眠くても打ち上げにはちゃんと出る。パーティ券と、ライブのチケット。全国を回ったときに会場の準備や集客にはこうした人脈が生きたという。

*盛り上げること。隣で演説している政治家をみて、全体にキーが高すぎてダメ。と見えたと。自分たちは、常に盛り上げる技術を磨いてきた、と。

*野外フェス、という文化。この点については、知らなかったが、野外フェスという形態に、そもそもカウンターカルチャーとしての性格を持っていて、その延長に選挙フェスがある、という視点。

政治家に立候補した立場から素直な感想として、

*政治家=汚いもの、という見方は改める必要がある
*孤独で、負担が大きすぎる。もっと減らしたほうがいい
*気構えて役所に行ったら、選挙に関する諸手続きについて丁寧に教えてもらえた

などと主張している点はもっともと思った。

氏の支持層に対して、「自分の足元さえよければ、自分が『正しい』暮らしをしていればよい」という考えでは限界があるし、ダメなんじゃないか

と言っている。

このあたりの感覚も共感する。

また、選挙を「マツリゴト」に。と言っている。
アメリカの大統領選挙なんてお祭りと言っていい盛り上がりだと思うので、音楽も交えて「マツリゴト」にしてしまうのは、一つの考え方だと思った。

* *

この本を読む限り、氏の支持層は現代社会の問題点に対して敏感であり、結果として『正しい』暮らしをするために田舎で生活することを選んだ人たちが多いようだ。

というところから見ると、17万票は、サイレントマジョリティならぬ「サイレントマイノリティ」の声を集めた、と言えるかもしれない。ネットが発達した社会では、尖った意見や価値観を持つ人たちが連帯しやすい、という傾向はある。

「マツリゴト」について言えば、祭りの社会的な機能として、連帯感の醸成による、コミュニティの活性化・維持という側面がある。

日本という「幻想の共同体」の維持に意味があるのか、などという知識から来る反発を若干感じる一方で、停滞している社会を活性づける効果もあるのかもしれないという気もする。

氏の政策については、表現が抽象的だし、賛同できない点も多いが、今後も要注目の人物だと思う。

広まってほしい取り組み:統合報告

少し前に、「統合報告」という概念を教えてもらった。

簡単に言えば、投資家の企業に対する評価があまりに短期的になりすぎて、弊害が多いからましなものにしましょう、という取り組み。

投資家から短期的な側面ばかりを求められ、長期的な投資ができなかったり、重要な部署のリストラを迫られる、というのはよく聞く話であるので、(長期的視点を持ったまともな)経営者にとって歓迎されるものであるし、社会問題、環境問題に対して真正面から解決に向けた取り組みともいえ、広まってほしいと思った。

以下の資料に詳しいです。
(Ⅲ部第6章以降が読みやすいです。)
http://www.dbj.jp/…/p…/research/DBJ_EconomicsToday_35_01.pdf

ボードメンバー(中核の委員会と理解したらよいのかな)の一人は、証券監督者国際機構という、世界各国・地域の証券監督当局や証券取引所等から構成されている国際的な機関の元議長だという。

「金融安定化および持続可能性は両方を同時に取り組まない限り実現することはない」と述べているという記述を読んで、学生時代の環境系サークルでの勉強会を思い出した。

当時確か2回生だったか。記憶はあいまいだが、実体経済をはるかに上回る金融市場が動いていて、極めて不安定な状況化でグローバルの経済は回っている。その原理の中で環境問題や処処の社会問題が起きているのであって、全体像の理解が重要、というような話でとても印象に残っている。

そこで議論されていた問題意識と近いものも感じる。

2011年9月に草案が作られ、2013年12月にバージョン1ができたということ。

企業としての具体的な活動は、企業と投資家のコミュニケーションであるIR、具体的には統合報告書の作成ということになる。

統合的な思考を取り入れましょう、ということなのですが、
例えば、企業価値について、一般的には決算書で評価される。

優れた投資家・経営者はその数字からいろいろな背景を読み取ることができるというが、基本的には、四半期決算であれば、四半期の結果のスナップショットになる。そうではなく、価値を生み出している源泉について評価しようとする。

企業が持つ資本についても、財務以外に、知的資本、人的資本、社会関係資本にも注目する、など。

CSRという観点も含まれるし、ビジョンの実現可能性を担保するもの、という観方もできる。

最近は働く会社のビジョンを重視する傾向が強くなっている一方で、立派なビジョンを掲げているがやっていることは・・という会社も多い。統合報告書は、事業がビジョンに対してどのようにして向かっているのかを説明してくれる。

まだまだ、統合報告の考えが主流になっているわけではないようですが、南アフリカ共和国では上場において統合報告書作成が条件だという。

このような動きがもっと広まりますように

不幸な事件は人気コンテンツ

神戸のバラバラ殺人事件をテレビが報じているのを見た。

猟奇的事件が大好きな人が多いんだなーと改めて思う。

キラーコンテンツ。

被害者とその関係者にはそっとしてあげなよ、と思うし、写真を大々的に公開したり、あるいは映像まで公開したり、って酷いと思う。

加害者についても、同じ国に住むという接点しかなく、日本の治安の改善を願うという立場だけなんだから、サンプル数=1の加害者についてあれこれ詮索するのは無駄で、統計をもって語ってほしい、と思う。

つまり、この報道が建設的な結果を生み出すことはないと思う。

* * *

常連ばかりの飲み屋で、気のいい、初老の、もとい、おねえさま方が、

「やっぱり犯人は狂っていたのね」
「こんな人に弁護士なんかいらない。なんでやるんかいね。」
だとか言っている場面に遭遇した。

弁護士についてはツッコミを入れる。
「いやいや、そりゃあ、弁護士の仕事です」

と、他からも、
「結局、裁判官になって、死刑!っていいたいだけでしょ」
とツッコミが入る。

みんな気のいい人たちだ。

そんな光景を見て、ああ、死者が出た不幸な事件の報道って、歌舞伎の心中ものなんかと同じジャンルに属するものなんだなと理解する。

メディアは、「人気コンテンツ」だから配信するし、地元の人を除いて、ほとんどの人にとってはお涙ちょうだい、悪い奴がいるんだな、という、ありふれたコンテンツの一形態にすぎないのだ。

* * *

被害者の近辺の人に大勢でたかる、もはやいつもの一コマになっている様子からして、もはや「伝統芸」と言っていいのかもしれませんね。。

スマートフォンが電話でなくなる日も近いかも

iPhone6が出てきて、画面サイズやら比率が変わって開発者としては困ったことなのだけど、大きくなるスマホにあれこれ考えた与太話のメモ:

* * *

iPad miniが出た時、ビジネスパーソンなら、
ガラケー+iPad mini(テザリング)+ノートパソコン
がベストだし流行るんじゃないか、と思った。

ノートパソコンのネット用にWifi飛ばし続けても、iPad mini ならそれなりに電源もつし、電車の中でもminiを見れるし、メールくらいなら送れる。電話代はガラケーの方が安いから。
が、そうはならなかった。

スマホを手放す人はいなかったということと、
iPad miniでデザリングしやすいプランがなかった(そもそもできなかった)ということあたりが原因だろう。
そして、潜在的にニーズがあっても、キャリアもAppleも、
iPhone → ガラケー+iPad mini という買い替えを喜ばない以上、インセンティブが働かなかった。

* * *

iPhoneが大きくなったことに対していろいろな分析がある。
大きなスマホ(=ファブレット)が売れているからと言って、ビジョンもなくAndroidのマネをするなんてがっかりだ、という声もある。
でも、私はスマホが大きくなることには必然性があると思う。

AndroidでもiPhoneでも、1度ファブレットの大画面に慣れてしまうと、もとのスマホに戻れない、と多くの人が言っている。たとえ、電話するとき不格好であったとしても。
そこからいえる重要なことは、もはや電話として使うよりも遥かに長い時間をネットに接続するものとして使っている、ことだろう。

* *

今使っているスマホはiPhone5Sだけど、iOS8にアップグレードしてから、明らかに通知が増えた。これは、AppleWatchへの布石だろう。
大きくなったiPhoneはポケットに入らない。だから、通知系はApple Watchへ、ということだろう。
こういう風に考えている人はけっこういるみたいだし、そう考えるのが自然だ。「需要の創造」というわけ。

* *
さらに進めれば、電話である必要がなくなる。
着信がAppleWatchで通知される姿はすぐに想像できる。
そしてマイクも搭載され、、時計に向かって相手と話す、なんて日が来るのかもしれない。
それはヘッドセットマイクかもしれない。

いずれにしても、画面を閲覧する機能に答えて進化したスマートフォンは、電話するには不便になり、なんらかのウェアラブル端末に電話機能を譲るのが合理的のようにみえる。
iPhone → (大きくなった)iPhone + Apple Watch
の買い替えなら、キャリアもAppleも喜んで後押しするわけだし。

* * *

もっともこれは先進国の話で、発展途上国では「電話+スマホ+タブレット+PC」の用途をすべて満たすものとしてファブレットが売れているらしいので、また別の話。

ロボットが神になる日

アクセスの良くない田舎で高齢者のヒアリングをしていたら、一人暮らしの人も多く話し出したら止まらなかった、という話を聞いて、

ペットは黙って話を聞いてくれるからいい。という一人暮らしのOLが結構いるらしいという話、ロボットは進化してしていて、機械学習の分野もまだまだ未開とはいえ、今後発達していくに違いないという話を思い出し、SFのような未来を想像した。

>>20XX年
集落ごとに機械学習する人工知能が割り当てられ、ロボットが配布される。ロボットに話しかけると適度にうなずいて、蓄積した情報、どこそこの誰々さんはどうだった、という噂話なんかも返してくれる。
その人工知能は、体も悪く、外に出かけることもままならない独居老人のよき話し相手となる。いつでも、同じ話を何度しても聞いてくれる。
そして、誰よりもその地区のことに詳しくなっていく。

>>導入から数年後
人工知能に看取られる人が増えてくる。故人について人工知能に語りかける人も出てくる。
死との接点をもった人工知能は、やがて崇拝の対象となり、いわば神となっていく・・

柳宗悦 -民芸を超える思想家

万博公園の民芸館に行ったら、ちょうど今日、セミナーがあるということで行ってみた。

柳宗悦 -民芸を超える思想家
という題で、講師は中見真理氏。国際関係思想という分野が専門らしい。

■以下は荒い理解のメモ:

柳宗悦といえば民芸運動の推進者としか理解していなかったが、講師は現代にも通用する思想家として優れた人物ということだという。

具体的には、朝鮮、沖縄、アイヌ、台湾といった、当時遅れているとされた周辺の文化に理解を示し、特に朝鮮において、日本の文化的同化政策に精力的に抵抗してきたという。
その功績が評価され、1984年には韓国政府から文化勲章を授与されたとのこと。

しかし、90年代に入ってポストモダンとカルチャルスタディーズが流行った時期に、朝鮮文化の特徴を「悲哀の美」などと説明していたこともあって、植民地史観であると強烈に批判された。 柳批判の「大合唱」だったと。
近年は再評価の動きがある。

中見氏は柳宗悦の思想を「複合の美」と表現し、現代にも通じるとしている。
*同質美のなかでは心の安らぎが得られないという確信
*異質な価値観から学ぶことを重視する。寛容よりも積極的

■共感したこと

1)異質な価値観から学ぶことを重視する。寛容よりも積極的
カッコいいと思ったのは、柳宗悦が台湾に調査に行くとき、周りの人たちはそんな「遅れている」地域に行って発見なんてあるのと笑ったが、必ず見るべきものがあると言って現地へ行き、実際多くの発見があったというエピソード。

その時代の常識なんてなんのその。人間の住むところ、環境の違いに応じて独自の文化があるのだという確信。その確信に普遍性があったということだろう。

寛容という言葉のもとに、無関心というより、触れない方がよい、みたいな空気を感じることがあって、面白くないと思うことがある。

トルコに行ったとき、モスクに行ったら、礼拝の時間になったので、一緒に交じってみたら、隣のおじさんが、こうやるんだって、教えてくれたことがあった。

日本に帰ってきてこの話をしたら、理解しようとする行動そのものが理解できない、という顔をされたことがあって、とても悲しかった記憶がある。

「彼らは彼ら。彼らの主張は受け入れる。よくわかんないけどわかりたいとも思わない。おしまい。」というわけ。

同じ人間なのだから、共通項もあるだろうし、違う点もあるだろうから、知ろう、学ぼうっていう態度の方が楽しい世の中になると思っているのだが。

2)東北の手仕事を、自分たちのために作ったがゆえに商業的観点より利用者側の観点になっていることにおいて評価していたこと
これって、「自分が必要だから作ったアプリが優れていることが多い」っていうことと同じ理屈ですね。

■全体的に
プレゼンの7割は、「いかに現代の視点からみても柳が優れた考えを持っていたか」の説明だった。
*下に見られていた朝鮮文化を「偉大な美」と評価していたこと
*文化財の破壊行動には反対していたこと
*独立運動の弾圧を批判していたこと etc…

柳宗悦が優れた思想を持っていたことはわかるが、延々と現代の価値観からみて通信簿をつけているかのようなトーンは息苦しかった。
これはこの分野の特色なのかもしれない。ポリティカルコレクトが上位に来ると息苦しい。