「俺聞け11」に参加してきた

ちょうど一週間前、「俺聞け」というイベントに参加してきた。
タイトル通り、プレゼンテーターが語りたいことを15分ずつ発表する、というもの。

11回目で、参加した人のTwitterとかFacebookの反応を見ていて、行ってみたいと思ったがなかなか行けず、初参加。

技術系のみの発表と思っていたら、日本語の話から漫画家による発表、うらなんばについてなどなど、他分野で多彩で、期待以上に面白かった。

そして、運営が素晴らしかった。

以下は、特に私の印象に残ったことのメモです。他にもプレゼンはありましたし、書いてないけどためになったことはたくさんありましたが、あしからず。

■オープニングセッション「はじめに」
主催者より。プレゼンテータを気遣ってあげてくださいね、笑うと思われるところでは笑う、とか。この辺、場をあたためるというような意味合いもありそう。

■Yelpで街遊びを楽しもう!
Yelpのコミュニティマネジャーより。Yelpは、地図と連携したお店の口コミサイト。日本では食べログキラーなんて言われているけど、飲食だけでなく、お店全般が対象となっている。街歩きだとかのリアルイベントなんかもやっている。自分が好きだと思うお店を同じく好きと思う人とつながれるのは楽しいかもしれない。ちょっとやってみようかと思った。

食べログにも、良質の口コミを書くユーザにはVIPという称号が与えられるらしいが、Yelpは Yelp Eliteと呼ぶらしい。かなり直球。

プラットフォーム競争時代では、アプリケーションが優れていること、ユーザを獲得することに加え、アクティブで良質のコンテンツを生み出す、魅力的なユーザを獲得することが重要で、そこを各サービスが競っている模様。

ただ、自己顕示欲を煽る方向はちょっと嫌だなと思った。

■斜め上からのうつ病の治し方
今回の収穫1。数年間にわたり、自身のうつの治療のために、何百冊の本と英語論文も読み、様々なことを実験した結論は、”腸”だったという。これは私もわかる。体感として、胃がきりきりする、ということはなくて、腸のあたりにずしーんとくる、というのがある。高麗人参がいいらしい。試してみようと思った。

また、自分の健康について実験する、という精神は今読んでいる、「技法以前 べてるの家のつくりかた」で紹介されている当事者研究に近いと思った。

研究・実験というと、対象がネガティブであっても、前向きな気持ちになれる。人生いつだって、研究・実験、という気もする。

■新米パパを支える技術
子供ができて、さあ、どうやって子育てに向き合ったらいいか、という話では全くなかった。
最近のハードのガジェットを駆使したマニアの話。
iPhoneについているiBeaconで近づいたら電球がつくなんて序の口(実際は、かなり遠くから反応するために実用性はないらしいが)。
郵便置けに、音を感知するセンサーを仕込み、その情報をWifi経由でネットサービスIFTTTに送ってスマホに通知するなど。

ハードウェアのキットがあるのだが、これはレゴみたいなもんで、音や動き、物理的な接触などを感知するモジュールと、Wifiで送るモジュールをカチッとつなげると、簡単にIoTキットができてしまう。しかし、この人凄すぎでした。

■これまでの日本語の話をしよう
面白かったがうまくかけない。
Globish・・簡易な英語というのがあって、日本語にも海外から移住してきた人など向けに「やさしい日本語」という枠組みを弘前大学が発表しているらしい。

■これからのブラウザゲームの話をしよう
ゲームのコントローラからの入力をブラウザが取得できる仕組みが実装されつつあるらしい。
プレゼンは昔のファミコンのPRGの画面に似せて作られていた。
上に絵があって、下にあの、会話調でちょっとずつ文字が出てくる。

これだと普通のプレゼンより読んでしまう。一つには、慣れというのもあると思うが、ゲームというのは没入するように徹底的に考えられているものなので、動いている一部のみに集中させることで読み手の集中力を得ているのかもしれない。

ちなみに、MicrosoftがWindowsXPを撲滅させるために作った言うゲームを実演していたが、これは本気で、面白かった。

■Aribabaで買い物をしてみた話
安くて、「ちゃんと届く」らしい。
一番面白いと思ったのは、中国から送られてくるのに送料は無料らしい。
その代り、船便なので、いつ届くかわからないということ。

■パソコンでマンガを描いてみたら幸せになった話
ものすごい面白かった。昔は、背景から全部手で塗っていたんだと。消すときに力加減を間違えば破ってしまうこともあったと。で、今やソフトができて本当に簡単になりましたよ、という話。

なぜ、漫画家がここにと思ったら、会場と同じ建物内でもあるコワーキングスペースのメンバーである縁だという。コワーキングスペースの成り立ちを考えると、IT系の分野特にウェブの世界で、いろいろなツールがそろったため、一人でもかなりをカバーできるようになって、極端な話、一人ですべての工程をやることもできるようになったという背景があると思う。

それは漫画も一緒で、ITツールが発展して、アシスタントが寝泊まりして、ということがあまり必要でなくなって、それで一人だと寂しいし(というだけでないと思うが)、ということでコワーキングスペースを借りる、というパターンも成り立つようだ。

■食いしん坊ねこ「まめ太」について
お土産を食べて漫画のレビューを書きつづけ、すでに記事数が200を超えたという話。
いろいろな人がいるものです。

◆謎解きゲーム
懇親会の途中で、謎解きゲームが始まった。
私は、フリーペーパーSCRAPを創刊の頃からクオリティ高いと思っていたし、編集長だった加藤氏のブログはその当時からずっとRSSで読んでいるくらいファンだが、しかし、この種のゲームは初めて。内容は、チームでパズルの組み合わせを解いていくというもの。

なんですが、自分のチームは答えに到達できず。

しかし、ここまで準備するとか、(デバッグもやったということ)、運営凄いです。
あと、ビールはクラフトビールも多くて、体調悪いのに飲んでしまったのですが、それも写真撮る前にきれいに並べたりしていて、おおーそこまでやるか、なるほどな、と思ったのでした。

次回も行きたいし、今度は何か発表してみたいと思った。

親戚の話

母方の義理の伯父さんの一周忌に行ったときのこと。

祖母が伯父さんと一緒に住んでいたので、私が母方の実家に行くときはいつも会っていた。

静岡県の天竜(今は浜松市の一部)で、林業地として有名な地域なので、大学時代に林業系の仲間と一緒に話を聞きに行った時、友人も一緒に泊めてもらったこともあった。その時使った離れの改修がまさに完了しようとするとき、伯父さんは亡くなってしまった。

新しい離れは、素材はすべて地元の木材で、中には薪ストーブがある、とても気持ちのいい空間になっている。機会があれば、林業や山村地域に関心のある仲間と一緒に、ここで飲みながら話ができたら面白いだろうなあ、と思う。人が集まってガヤガヤするのが好きな人だったので、その場に、伯父さんも一緒だったら、一番良かったのだけど。

* *

夜、伯父さんの話を聞く。私はほとんど何も知らなかったので、すべて新しく聞く話だった。

母方の実家は多くが福祉系の仕事についているのだが、伯父さんは特に精神性障害の持つ人のための施設での仕事に一番熱心だったという。障害とか言う前に、人として当たり前に接して、当たり前のことを経験させたいという信念があって、それは一定規模の組織の枠内として実践するには難しくてぶつかることも多く、最終的には仕事とは別の枠組みでの組織でも活動していた。

北海道旅行に連れて行こうとした時、一番連れて行きたいと思っていた人が、飛行機の中でパニック症を発症して出発できずに帰ったとか、いつもお昼にコンビニ弁当やカップラーメンを食べているのをみて、美味しいものを食べさせたい、でも単におごるのはよくないと、自宅の草取りをさせて(実際はそんなに草は生えていないし、たくさんの草を取ることもできないのだが)、そのお礼としてカツ丼を振る舞ったりとか、あるいはよく飲みに連れて行ったりしていた。

そんな伯父さんが、施設の所長になった時、最初に言ったのは、地域の行事に出た時に恥をかかないよう、きちんとした礼服を各自が準備すべきだ、ということだった。

皮肉なことだが、彼らがその時用意した礼服を初めて着る行事は、伯父さんのお通夜であり、お葬式になってしまった。事前に現在の所長に確認したところでは、皆、葬式に出たい、出てみたい、ということだったらしい。

* * *

夕方、温泉に行った。
大人の男は私だけだったので、いとこの子供2人と一緒に入ることになる。上は来年小学4年生。不思議なもので、甥っ子とはまた別の感覚である。

人気の施設らしく、外の駐車場は車がいっぱいだったのだが、お風呂の中は、そこまで混雑しているわけではなかった。湯船につかってすぐ、このはとこが「あんなに車が泊まっていたのに、なんでこんなに空いているのか。みんな休憩スペースにいるのかな」などと言う。こやつ相当頭がいいなと思った。

風呂上り、服を入れたロッカーの番号が96なのを見てひっくり返しても96で一緒というから、ほうなるほど、他にもあるかな?、なんて返してみる。私も数字が好きな子供だったので親近感を覚える。今度行くとき、とびきり面白いパズルの本を持って行ってあげよう。雑学とかトンチに走るんでなくて、純粋にパズルとして面白く、しかも子供でも楽しめそうな、おすすめの本を知っている方はぜひ教えて下さい。

* * * *

父方の親戚は、祖父も祖母もクリスチャンであり、とても現代的・合理的な考えを持った人らしく、親戚づきあいというものが殆ど無い。

親が転勤族だったので、私はここが故郷といえる場所がない。

そんなわけで、親以外で、私の小さい時を知る人と話す、という機会が本当になかった。夜、私の小さい時の話で、どんな姉弟だったかなんて話を聞くのは新鮮というかあまり経験していない感覚だった。

* * * * *

今の自分は、幸いなことに、お互いのことを深く語り合える友人にも恵まれていて、そういう関係を大事にしたいと思っているし、大事にしてきているつもりだ。

しかし、その中に親族というものがあんまり入っていなかったな、と思った。それは、たまたまの状況もあるが、正直なところ、面倒くさいこともセットになってやってきそうだからでもある。

でも、それでも、もう少し大事にしたいな、と思ったのでした。

血液型占いについて考えた

 

合コンなんかでは、血液型占いの話はよくでてくる。

「○○ちゃんって、A型っぽいよね」
「私は典型的なA型」
「△さんは、Bっぽい」
「うちの家族はみんなBで、よくそう言われるんだけど、実はO」
などなど。

実際のところ、当たっているかどうかは問題ではなく、性格だとかを話すためのネタになっている。

これは、異業種交流会の名刺交換と似ている。

名刺交換があちこちでされている会であれば、
とりあえず、「名刺交換よろしいですか?」といえば、話しかけることができるし、名刺に書いてあることについて何か質問することもできる。

どちらも、合理的でないと主張されて久しい。

人間をA,B,AB,Oの4タイプに分類できるわけがないし、連絡先という意味ではFacebookなりのIDを貰えれば十分で、少なくともメールアドレスを聞けば事足りる。

しかし、どちらも日本では、失敗するリスクが低い、お互いについて話すことができる鉄板ネタとして、慣習的に不動の地位を占めている。

コミュニケーションの強者はそんなもの不要だと言うかもしれない。名刺交換の儀式は日本特有らしい。でも、便利なら使うのが自然だ。それはまさに挨拶のようなもの。

* * *

血液型占いの非合理性を問題視する声もある。

廃りうるパターンを考えてみると、例えば次のようなシナリオが考えられる。

あ)血液型占いより優れたネタが披露され、
または、
い)血液型占いについて否定的に語る人の方が魅力的に映り、

かつ、
う)それを聞いた他の人たちが次の機会で真似する

さっきの、
「うちの家族はみんなB型で、よくそう言われるんだけど、実は私はO型」
の流れで、

「人間の性格を血液型で判定するなんて科学的根拠ゼロだよね」
と言ってしまう、KYなAさんがいたとする。

愛すべきAさんであるが、この流れで あ)、い)、う)を実現できるかを検討してみれば、このアプローチで血液型占いの慣習をなくそうざなんて到底無理だということがわかる。

アフリカン・ポップスの誘惑

アフリカとの接点というのは全くなかったのだけど、ここ数年弟が調査でブルキナファソという西アフリカの国に長期で行っているのを聞いてちょっと地図を眺めるようになった。ガーナの北側にあるらしい。

そして、ランチトリップの次回開催はタンザニアとなって、それで、ガイドの方も著者の一人となっている本書を読んでみた。

音楽だけでなく、文化についても現地に住んでいた人が書いているから、エピソードも含めて面白い。

例えば、マサイの出身のMr.Ebboは、「俺はマサイ」という曲で、マサイの人はまなりがあって、都会では馬鹿にされがちだそうなのだが、その典型的ななまりをそのままにラップにして大ヒット。

そのあとに、「君の誇り」という曲では一転して、

”故郷のものは君のもの
自分で収穫しなくっちゃ
自ら卑下してたら誰が宣伝してくれる?
自分の持てるものを自ら誇れるよう宣伝してみろ”

という。どこの国でも変わらないテーマなんだと思う。

ほかにも興味深い解説が多かったです。

音楽と一緒に踊るのが基本だそうなので、ちょっと行ってみたいですね。

それから、アフリカと言っても広い。音楽をほとんど知らない私にとってはわからないカタカナだらけで、最初はちょっと苦しかったですが、読みながら、地図を見返して、を繰り返していたら、なんとなく、

コンゴとタンザニア
エチオピアとケニア
南アフリカとタンザニア
ガーナを中心とする西アフリカ

というブロックの位置関係がおぼろげながらわかってきました。

野宿の話

野宿入門という本を買った。著者は、「野宿野郎」の編集長だそうで、まだ最初の方しか読んでいないが、野宿に対する熱い思いが綴られている。

私が初めて野宿をしたのは、中学生の時だったと思う。当時は栃木県の北部、周囲は山に囲まれた塩原温泉に住んでいた。父親の職場である視力障害センターの官舎が家で、敷地内にグランドがあった。山側に少し登ったところにあり、大人であれば深いセカンドフライ程度でも網を越えて、傾斜のきつい林にボールは吸い込まれてしまう。そんな場所で毎日のように野球をしていた。

小学校低学年の頃までは、ボーイスカウトのようなことをしていたことも影響していたのだろう。ある日、野宿をすると言って寝袋とマッチと新聞紙をもってグランドに行った。8月下旬くらいだったろうか。星がよく見えた気がするのと、何より寒くて隣の人工林で切り落とされた枝を寝袋にのせたり、あとは焚き火をして夜を越した。

寒くてほとんど眠れなかった気がする。でも、それで満足したか、その次に野宿をするのは、大学に入ってから。

確か1回生の10月下旬、高知に行くと言って買った寝袋の入ったバックパックを背負って水曜日の夕方に出発した。22時頃、高知に到着。今なら飲みに行って、その後、漫画喫茶でも行くのだろうけど、当時の私は健康的?で、小さい頃から憧れていた坂本龍馬像を見るべく、桂浜に向かったのだった。

道路標識には桂浜まで22キロとあった気がするが、翌朝6時のフェリーに乗るつもりだったので、時間はあるから大丈夫としか思わなかった。午前1時頃に桂浜に着く。当然ながら、誰もいない。残念だったのは、当時、龍馬像は工事中で周りにプレハブのような柵に覆われていて、中が見えなかった。
すぐに帰路につき5時頃に高知市内に戻った。1時間弱駐車場の路上で仮眠する。これも野宿だったかな。

フェリーで、あしずり港へ。そこから、足摺岬まで歩く。海沿いのルートと山を抜けるルートがあったので、行きは山を抜ける方を選ぶ。18時を過ぎるとあたりは真っ暗で疲れもあり、不安が募ってくる。

19時になろうかという時、向こうに灯りが見えた時、漫画日本昔話で、道に迷った語り手が灯りを見つけて「村じゃ!」のなんていうシーンの心境はこんな感じだったのかと妙に納得したのを覚えている。もっとも今となっては元ネタのシーンが思い出せないのだが。

とにかく、足摺岬についた。着いたが何があるかもわからず、とりあえず海岸に出た。真っ暗だったが、そこで私は力尽きた。古い、かつてはトイレだったような建物、しかし、今は壁も全て抜けている廃墟のようなところに腰を下ろしたらもう立てない。
そこで寝ることにする。海風は強いし、岩場に吹く風はゴーゴーと、思いの外、大きな音を立てていた。

午後8時過ぎ、サークルの先輩からイベントの案内メールが届き、確か、行きます、と返事をした。
寒いし、うるさいしで、結局、ほとんど寝れなかった気がする。夜が明けると、体力は回復したので、今度は海沿いの道を歩いていく。
朝食に夜はスナック、昼は喫茶店という風のお店でモーニングを食べる。

何人か客がいて、清水町の助役という人が私の分をおごってくれた。そこでもそうだが、歩いていると、会う人は、えらいねえ、という。しかし、こちらは授業をサボってこの場にいるのであって、何もえらいことはないのにな、と思っていた。今から思うと、あれは、お遍路さんを受け入れる文化から来るのかもしれない。

翌日は、フェリーの港を越えて数キロ先にあるキャンプ場に泊まる。といってもテントはもちろん持っていない。炊事スペースの軒下で寝ようかとしていたら、シーズンオフに唯一その場にいた、テントで暮らすおじさんが、そこよりもここがいいと、シャワールームに案内してくれた。海の家にあるような、靴を脱ぐ場所があるかもある怪しいタイプだったと思う。

そして、おじさんは、銀マットをくれた。表面が銀色のアルミの薄い膜があって、その下が水泳のビート版のような素材でできているマットである。

その夜、私は感動した。

背中の暖かいこと!
以来、私は銀マット信者となり、寝袋で暖かく寝たいなら銀マットをひくべしという持論が形成されたのである。
今思うと、まずもって、四方に壁があって、風がさえぎられていたことも大きい気がするが。

以来、野宿はしていない。だから、私の野宿のイメージは「寒い」に尽きる。

最近は、近くの有料(210円)の府立植物園の年間パス(1050円)を購入するヘビーユーザなのだが、中でテントをはってくつろいでいる人を見て、上級者だと感心し、500mlのペットボトルを枕にしているのはイマイチだと思った。

なんと軟弱か、と言われそうだが、この植物園ライフの充実が目下の「アウトドア」になっている。