サーバントリーダーシップについての考察

rebuild.fmというプログラマ・エンジニアのテーマは割と広いpodcastがあって、そこで前回、ゲストの伊藤直也氏がマネジメントの話の中で、サーバント(奉仕型)リーダーシップについて語っていた。

伊藤氏自身がサーバント型であろうと思ってやってきたが、そうやってみんなに気持ちよく働いてもらうことを重視していると、簡単な方法として目の前の、本来はリーダーがやらなくてもいい、雑用をやってあげてしまうことになりがちだけど、それはダメだと。

どんなに気持ちよく働けても結果が出せないと仕事としては困る。いつも優しい兄貴である必要はなくて、厳しく、色々な仕事をやらせ、決めるところをきちんと決める、いわば従来からのリーダー像が大事なんじゃないか、というような話をしていた。

ずいぶん、ざっくりとしたまとめですが。

このテーマに関連したブログを書いているさかばさんが、今日のIT勉強宴会のLTで発表するようです。これは個人的にもとても関心のある分野なので、参加する前にまとめてみました。

1)サーバント型リーダーシップが必要になった背景
変化の速度が急激になって、専門性が高まっていった結果、特定の人が意思決定すると間違う確率が高まった。
現場のメンバーの意見、それぞれの専門性を持った人が活躍し、意見が吸い上げられない組織は生き残るのが難しくなっている。だから、リーダーは各メンバーが力を発揮し、意見を出し、意思決定に参加できる枠組みを作る必要がある。

2)チームメンバーとボトムアップとトップダウンの相性
チームのメンバーの能力と、チームに対する当事者意識(およびそのポテンシャル)が高いチームでは、ボトムアップによるリーダーシップの価値が増す。

逆に、能力が高い人が少なく、当事者意識も低く、高まるポテンシャルも低いチームでは、トップダウンによるリーダーシップの方が成果を上げやすい。

短期バイトで、単純に時給だけ稼ぎたいと思っている人に、プロジェクトの長期目標についての意見を求めるのは、ほとんどの場合時間の無駄になる。

3)個人もチームもご機嫌でいたい、という思想
一時期、糸井重里氏の書籍やほぼ日のサイトにはまって、ずいぶん読んでいた時があった。いくら一生懸命仕事してたって、不機嫌でいることそのものが、周りにとって一つの害になってるんですよ、というようなことが、彼の書籍にはよく出てきた。

私もこの主張に賛同するし、自分の目標であるし、こういう目標を持つ人が増えたらいいのにと思っている。

誰しも忙しいほど不機嫌になりがちで耳の痛い話だけれど、一般論として、この主張に反論する人はいない。でも、仕事の場面でもそれがいえるのかというのは微妙なところだ。
おそらく、「長期的に見て、真にご機嫌でいられるために必要なことをする」というほうがより正確な目標になりえるだろう。

違いを簡単に言えば、稼げてなかったら、いくら楽しい職場でも駄目よ、という話だ。

4)ビジョンを実現することへの執着とチームの雰囲気を大事にしたいという気持ち
組織経営の上で、どちらも貴重なリソースだ。

それなりの地位に後者の資質を持った人がいない組織は、長持ちしないだろう。
でも、組織にとってもっとも貴重なリソースは、ビジョンを実現することへの執着であり、それはリーダーにとって重要な気質なのだと思う。

近代化の話:システムと人

-System is good, but human is problem.

大学2年生の夏、私たちの6人グループはパプアニューギニアの首都、ポートモレスビーにあるレストランで、元環境大臣だった方と会っていた。

日本から京大生を中心とするグループが来るというので、わざわざ時間を取ってくれたのだろう。私たちがその価値のあるグループだったかは疑問だが。

その内容はほとんど覚えていない。

でも、何度も繰り返された、冒頭のフレーズだけは今でも頭に残っている。

いつだって組織で問題になるのは人に決まってるんだから、それを言っちゃおしまいではないか、なんて20歳の私は思っていた。

ただ、しばらくして、それはつまり逆に言えば、日本における明治維新の時には、教育が行き届いてたからうまくいったってことなんだな、と理解するようになった。

「明治維新と幕臣 -『ノンキャリア』の底力」という本を最近読んだ。

この本によれば、「教育が行き届いていたから明治維新が成功した」というのは間違いではないが、現実理解としてはずいぶんと正しくないようだ。

例えば、箱館奉行所。ちなみに、私は3歳から9歳まで函館に住んでいたので身近に感じる。

明治維新の直前期に、イギリス領事館が人骨標本のためにアイヌの墓地を盗掘したことから外交問題になったケースでは、イギリスからアイヌへの謝罪と賠償を引き出している。

明治維新に際しては、抵抗の意志がないことを伝え、奉行所職員でその職を辞めたのは6名のみで、あとは箱館戦争による混乱はあるものの、ほとんどの職員は以前と変わらず箱館府において業務を続けている。

戊辰戦争中にも行政は機能していたし、外交でもちゃんと仕事をしている。フランス商船と日本商船が箱館港内で起こした衝突事故があった時に、フランス領事館が損害賠償を求めてきた。これに対して、箱館府の外国方が調査を行い、風上のフランス商船側に過失があったことを明らかにし、日本側に支払の義務がないことと共に領事館に伝え、それが受け入れられている。

当然ながら、こうした実務にかかわっていたのはみな元奉行所関係者だ。

つまるところ、幕末期にはすでに近代的官僚組織は出来上がっていたのだ。

新進気鋭の西南雄藩が旧態依然の江戸幕府にとってかわったというイメージが持たれているが、それは事実と全く異なる。

だから、「教育が行き届いていたから明治維新が成功した」のではなくて、すでに組織が出来上がっていた、というのが正しい。

もちろん、トップが変われば各種の改革は進めやすくなるが、明治維新は革命と呼べるようなものではなかったようです。

そう喧伝され来たのは、明治政府が自分たちをアピールするために江戸幕府をけなす必要があったからなわけです。

* *

この本では、どのようにして江戸幕府が統治機構を発展させてきたか、ということも随分説明されている。

家康の死後に、家康の側近グループから秀忠への権力交代はスムーズにいかず混乱もあったこと、家光も同じ構造で苦しみながら、また自身が病気がちだったことから、苦労しながら、老中などの仕組みを整えていったこと。

本家でなかった吉宗は将軍になるにあたって、前例のように紀州藩の家臣団を幕府に連れてこなかった。それまでの将軍は小さい頃から知っている側近を持ち、彼らが幕府の中核になっていったが、吉宗はそういう基盤がない中で、逆に言えば、そのような属人的な基盤がなくても動けるような組織にしていった。

また、旗本・御家人は土地との結びつきが弱くなっていったこと。新しい人材を登用する制度もできてきたこと。などなど

そういう様々なことがあって、全国を統治できる仕組みができてきたというわけです。

さらに、特に幕末期の慶喜は積極的な組織改革を進め、人材登用・育成にも力を入れていおり、ここで育った人材が明治期で活躍した。

慶喜は、そんな改革を進めながら、あっさり降伏したわけで、日本の歴史上、ある意味、とても有難い人物だったようです。

少なくとも、明治政府は感謝すべきですね。

* * *

日本は近代化の成功事例としてまねされる、なんてことをよく聞きますが、こういう、長い時間をかけて独自に近代化してきたという歴史を踏まえると、本当に学ぶなら、信長・秀吉の時代からの歴史を参考にしないと、実際、意味がないかもしれません。

というより、どの国も、表面上は似通っている部分はあっても、独自の歴史を持っているのだ、という話なんでしょうけど。

職業としてのシステム開発者

村上春樹が自分の職業観、どんなことを考えて執筆をしてきたかということを語っている、「職業としての小説家」、とても面白かった。
29歳の時、神宮球場でヤクルト戦を見ているとき、ふと小説を書こうと思ったらしい。

ほんまかいな。と思ってしまうが、いかにも村上春樹的なエピソードだ。

この本によれば、村上春樹は、小説家「村上春樹」がいかに能力を伸ばしていくか、ということについて非常に戦略的だったようだ。

戦前・戦中の世代のような強烈な体験はない自分がいかにして表現力を手に入れるかという答えとして、軽い文体を手に入れるために、いったん英語で書いてをそれを翻訳したという。よく、村上春樹の文章は翻訳調だといわれるけれど、それは当然のことだった。

最初の小説でいきなり賞をとるのだが、本人としては理想には程遠い、未熟な文章だと認識していて、10年、20年と続けていけばその理想に近づいていくだろう、と考えていた。

そのために、依頼されて小説を書くことは一切せずに、常に自分のペースで書いていたという。どういう環境であれば、自分はパフォーマンスを発揮できるのか、ということに細心の注意を払っていた。体力も重要と考えて、40代に入ってからランニングを欠かしていないとか。

その代り、稼ぐための仕事は翻訳をしていたということ。バブルの時には、ちょっと出かけて書くだけで随分お金をもらえる仕事もたくさんあったそうだが、そんな環境では力を伸ばせないと考えて海外に行ったと。

常に日常生活の中でふと気になったことを心にとめておく。判断や結論は出さないがストックして残す。ストックがたまったら、書き始める。小説を書き始めたら、数か月間、毎日規則正しく、4,5時間集中して書く。小説を書いているときもそうでない時もランニングは欠かさない。

自分で納得ができるところまで推敲も終わったら、まず奥さんに読んでもらう。直接的な指摘をもらう。指摘の中身が問題なのではなく、指摘されるということはその箇所になんらかの問題があるということだ、ととらえるらしい。だから、指摘された箇所は、変え方はともかく、絶対に修正するという。

そうやって練りあがってから、出版社の人とのやりとりを始めるという。
そういうスタイルも確立させていったという。

* 

おそらく一番大事な点は、このやり方を、10年、20年と続けることができたということ。

コンビニには「5分でわかるコツ!」なんて本が並んでいる。あなたが5分で得られるものは、ほかの人だって5分で得られるんだから、大した価値はないのだが。それより、「10年かからないと得られないもの」で、「私は10年続けることができる」ということこそが大事だ。それなら、そうそうはほかの人にはできない。いろんな仕事をしながら、そういう対象を見つけることができたら幸せだ。

* *

どんな職種であれ、仕事には、自分のキャリアを伸ばすことができる仕事と、ルーチンの仕事がある。世の中の仕事の成分を分析すれば、大部分は後者の仕事であるといえるので、ルーチンの仕事を馬鹿にしてはいけない。とはいっても、個人のキャリアを考えれば、自分の実力を伸ばすことができる仕事をどれだけできるか、が大事だ。

そういう、「よい仕事」を運よくもらっても、その内訳で言うと、事務処理だ、雑務だ、打ち合わせもセットになってくるし、よい仕事を受けるためにとる仕事というのもある。

いずれにしても自分の専門性がどの領域かを認識し、その中でいかに自分を成長させていくのか、ということが大事なのだと思う。

* * *

人はいい加減に批判する。当初村上春樹は、日本では売れてるけど、海外では売れっこないなんて批判されていたという。ところが海外で売れると、前のことはコロッと忘れて批判する。まともに相手にしていたら、やっていられないと。

前に業務システム設計の独自の方法論を提唱している渡辺さんのブログを読んでいるとき、批判的な反応も目にした。いわく、この人は大規模開発を知っているのか? これは現場で通用しない、などなど。

おそらく、コメントしている人より渡辺さんの方が現場に通じていると思われたが、そこは問題ではない。

現実社会というのは矛盾に満ちているので、批判しようと思えば、いくらでも批判できる。だから、批判が存在するということ自体は問題にはならない。その人の立っている状況と、視点と、目指している点を明確にして初めて、その批判の妥当性を検討できる。

結局のところ、自分で生きていく、という覚悟をしている人は、その矛盾が多い中で何とかやっていっているのであって、そうでない、現実と向き合っていない人は、あらを探して、適当なことを言ってるだけ、という構図にみえる。

* * *

というのが長い前置きになる。

最近、XPの本を読む、という読書会に参加した。XPというと、システム開発の業界では、アジャイル、スクラムあたりの言葉と一緒に語られているが、その中身は実際のところ、ちゃんと理解されていないと思う。

かくいう私も、「スクラムっぽいもの」という程度の理解だった。

ところが全然違うものだった。20年前に出版されたXPの本は、今でも色褪せないものだった。でも不幸なことに日本語訳は、仮定法をことごとく誤訳していて、金融の話題では知識がないため、誤訳の多い、非常に読みにくいものになっているらしい。

読書会では、IT勉強宴会のメンバーの杉本さんが、自分で訳した、という翻訳をレジュメにして進めていたのだが、とても丁寧な訳ということもあり、私はケント・ベックさんのファンになってしまった。

緻密に練り上げられ、おそらく何度もリファクタリングされたであろう文章だった。

* * * *

そこではまず、システム開発のビジネスというものはどういう状況に置かれているか、ということが分析される。重要な点は、アジャイルという文脈ではエンジニア側の視点に偏りがちだが、XPではまずビジネス側の事情を重視している。

プログラムで稼ぐことを目的にしているのだから、当たり前といえば当たり前の話だ。

そういう前提の中で、エンジニアが幸せに力を発揮できる、極限までの最善の状況はどういう形だろうか?ということをXPはテーマにしている。

具体的なことを少し書くと、不確実性とどう向き合うか、が最も大事なポイントになる。

話が盛り上がって、あるいはエンジニアが作りたくなって、作ってみたものの、大した価値の無い機能にしかならなかった、というのは、開発現場あるあるだ。耳が痛い、あるある過ぎる話だ。

どうしたら、そういう無駄を最小限に抑えられるだろうか?

なおかつ、エンジニアの作りたい、という気持ちも両立させるためにはどうしたらいいだろうか?

そのために必要な条件が高らかに宣言されていく(ように読めた)。

20年前に書かれたとは思えない、現代にも通用する知見ばかりだ。

もっとも、ここで書かれていることになじみがあるのは、私がふれてきた言説がこの本に影響されている、という側面もあるのだろう。

* * * * *

XPは、もちろん、完璧ではないのだろうけど、システム開発のあるべき姿、理想像を提示している。

私のように小さいけれど、自社のプロダクトを開発・運営している人にとっては特に大きく頷いてしまう話ばかりだ。
そして、その理想像に至るまでの道のりも遥か先であるということもわかっている。

恥ずかしながら、CIの自動化というものを実現できていなくて、最近Jenkinsの専門家に来てもらって、大枠の方針と設定を終えた。でも、細かい作業は大量に残っていて、ひとまずの目標を動かすための諸設定で昨日1日が終わってしまった。

bat処理のあれこれとか、作業としては実に単調なものなのだが、何しろ時間がかかる。一定まではできたが、実際の運用に至るまではまだ調整がいる。一方で、もちろん現在進行形の開発や調整の実務がある。

時間がなければ、理想と遠いコードを書いて対応するしかない。現実はそうそう簡単にはいかない。

でも、そういう中で、あるべき姿をみる。

XPはいう。

エンジニアは常に質の高い仕事をしたいと思っている、と。

そうだよな、と思う。今は、妥協もしているけど、それがない状況を目指すのだ。

実際の現場がXPがいうような理想的状況に至るまでには、相当な時間がかかる。それは年単位の話だ。

できるだけ、そこへ向かえるような仕事をするようにする。開発チームの仕事も、個人の仕事と同じで、差し当たり対応しなければならない仕事と、将来への理想に近づける仕事がある。後者の仕事の割合を増やしていく必要がある。

村上春樹と比べるのもおこがましいが、彼が自身の理想の姿を追求し続けたように、そういう仕事ができる環境を作っていくことも大事だ。

こういうことを考えるためには、まず理想状況をイメージすることが前提となる。

XPは、システム開発がどうあるべきか、その理想像を提示していると思う。

Yさんの話

Yさんはよく行く居酒屋の常連で、常連仲間でLINEのグループを作ったり、外で銭湯に一緒に行く会やら、引っ越す人がいれば送迎会を開いたり、他のお店を教えてくれたりした。

お店の暖簾を作ったり、トイレを直したりもしていた。

仕事は何をしているかよくわからなかったし、昼に行ったら、真っ赤な顔して、昨日からずっと飲んでるんだ、半分仕事だ、とか言って、酎ハイを飲んでいていることもあった。

Yさんは、全体に謎だし、絡まれるとめんどくさいが、世話好きな人だった。

私は嫌いではなかった。

淀川花火大会の次の日、Yさんは入院した。急性の膵炎で、かなり大変な病気らしかった。

入院してから、Yさんの評判は良くなかった。

まず、その店名乗っていた名前は本名でなかった。私はそれほど気にならなかったが、そのことであり得ない、という反応の人もいた。
また、ずいぶん景気のいい話をしていたが、実は貯金が一切ないとか、保険にも入っていないとか、そういう情報も入ってきた。

しばらくして、Yさんと頻繁に連絡を取っていた人たちが、Yさんについて全く語らなくなった。

どうやら、金銭的な問題があったようだ。

* *

Yさんは最初ICUに入り、その後しばらく一般病棟にいたのだが、またすぐにICUに戻っていた。

9月に私はICUにお見舞いに行った。

まず、病室にたどり着くまでが一苦労だった。

Yさんの本名を知らない。LINEで聞いたら、苗字だけ送られてきた。

1階の受付ではフルネームがなければダメだという。LINEで聞くのがだが返事がない。数分待っているのを受け付けの人が気にしてくれて、いくつかの個人的な質問、住んでるところとか年齢とかを聞かれてそれを答えたら、中に入れてくれた。

ICUの中に入るときにまた、同じことが繰り返される。Yさんの本名は簡単な漢字だった。ところが、一般的な読みとは違ったため、私が○○さんはいますか?と聞いたら、そんな人はいない、という返事だったのだ。

結局、中の本人に直接確認した後に入れてもらった。

さすがに独特の雰囲気がある。私は気をのまれないように、努めて何もないようにふるまうべく、気を張った。

Yさんには管が何本も刺さっていた。ばらまかれた膵液が内臓をドロドロに溶かしており、その内容物を取り除いているという。飲食は一切できず、点滴を打っている。

計測器が繋がれていて、血中の酸素濃度を示す指標が90を下ると警告音がなった。それで彼は深呼吸をする。脈はつねに、120を超えていた。

今、面会は基本断っている、という。まあ、一般的なことはよくわからないが、そもそもICUに面会に行くのは親族くらいが普通なのだろう。

ところで、Yさんの若い彼女も、同じ居酒屋の常連だった。彼女も、完全に常連組の一員で、道を歩いていたら、「たいじー!」と車から呼びかけられてびっくりしたこともあった。

入院後、何らかのトラブルがあり、彼女と別れたことは聞いていた。彼女にはその後会っていない。おそらく、今後も会うことはないだろう。

話を聞くと、彼女の父親が出てきて、それまでに彼に貸してきた金を全部返せと迫り、別れさせ、挙句、送り迎えにかかった分も全部請求し、それを彼の母親にも迫っているという。

どうやら、具体的な金額は言わなかったが、入院の前から彼女から借りていた金額はそれなりのようである。

伝え聞いた話や、今まで話していた華やかなことと現実のギャップからするに、Yさんは、かなり話を誇張し、残念なことに嘘も含めてしまうようである。彼の説明は公平性を欠くことは明らかだった。

身から出たサビと言われても仕方あるまい。

お金もないくせに毎晩飲み歩いて、景気の良い話をしていた彼は、つまるところどうしようもないダメ男だった。彼女の父親がそれを知って別れさせようとするのは当然の行動だと思う。

しかし、今の私は、単なる飲み友達である。話していて楽しかったし、銭湯も、料理を教えてもらったりした。その延長でしかない。逆に、彼女さんと特に仲の良かったわけでもなく、利害関係もない。

今は病気を直すことに専念することだ。いくらその父親氏が騒いだところで、本人が出てこなければ何もできない。今はいったんおいてお
いて、まず治して、その後、整理するしかないでしょう、と言ったら、納得していた。

* * *

さて、その後に、携帯の未払いの料金を代理で払って来て欲しいというと言われる。何しろ動くことができないからと。彼が言うには、9月末にお金が入るあてがあるから、その後に私に振り込むという。

きてしまった。やれやれだ。そういう関係がないから私はこの場所にいるのに。

お金の関係は持ちたくなかった。だが、携帯が切れてしまったら、彼は本当に孤立してしまうだろう。
少し悩んで、少々高いが、その金額は飲み代を奢ったことにしようと思った。

そして、来月に来るときまでに返してもらえなかった時は、申し訳ないが携帯は使えなくなることを受け入れてもらうよりないと覚悟した。それでも、お見舞いには、月に一度くらいは行こうと思った。

彼は大学ノートに、へたくそな字で、○○は中尾に支払いを委任する、というようなことを書いた。まあ、払ってくれるならキャリア側としてはどうでもいいのだろう。その後、私は委任で払うという珍しい経験をした。

10月になると、お金はちゃんと振り込まれていた。

* * * *

帰り際、来てくれて嬉しかった。と彼は涙を浮かべて言った。

手術のたびに、成功率は30%程度と言われ、毎回、死亡してもしょうがない、みたいな契約書にサインする。手術室に送られるたびに死にたくないと思うという。

私はなんと言っていいかわからなかった。

だから、「なんと言っていいかわからない」と言った。でも、生きようとする心が大事だろうと思ったので、帰り際握手して、そういうふうに言ったと思う。

* * * * *

Yさんに教えてもらったバーには良くいくようになったし、マスターともよく話す。

マスターも私もこう、大きな話、妄想みたいな話が好きだ。

Yさんのことを話題にして、最初にマスターは、ちゃんとしなきゃと思った、と言った。

私も深くうなずいたのだった。

* * * * * *

11月の中頃、関大にちょっとした用事というかイベントを見に行ったついでにと、Yさんの見舞いに行った。

今度は本名も知っていたし、お金の話もされなかった。
前回はお気に入りの本を貸したが、今回は古本屋で50円の本を6冊買って行った。
相変わらずYさんはICUにいた。

ここに来る人はみんな、治るにしろ、そうでないにしろ、すぐに出ていく。ずっといるのは自分くらいだ。とぼやく。カーテンを閉めていて、外を見て、景色の移り変わりを見るのがつらい、という。

夏がなくなってしまった、と。
いや、それどころであるまいに。

帰り際、12月はいつも半ばに母親の誕生日があって、そのタイミングに実家に帰っている。今年も11日に退院して市民病院に戻って、その後、リハビリはできんから、すぐ実家やな、とやたら具体的な日のことを話す。
それは、夢、願望だろう。Yさんの顔色は決して悪くなかったが、状況が改善しているようには思えない。

病室を出たところで、他の見舞いの人が、病院は3か月で出そうとする。そうしないと税金が下りないから。という話をしている。
あの具体的な日程は、少なくとも一度は外に出てほしい医者と話していたのではあるまいか。

* * * * * * *

それからしばらくして、東京からの帰りにYさんがいつもいたお店に寄った。
雨で、ほかに客がいなかった。

そこで、Yさんの話をする。今会っているのは私くらいのようだ。

だが、そこで聞いた話はなかなかだった。

彼女は知らないうちにカードを使いこまれたわけやろ、そりゃあ、サギやで。
彼女のことは考えないようにしていたが、確かにそうだ。

他にも、服や宝石類をネットで売るからと言って、そのままだったこと。

あるいは買うからと言ってお金を受け取っておいて、そのまま。

あるいは、これは私も行ったが、相撲部屋の力士といっしょに、ちゃんこ鍋の会というのをしたが、その時に、Yさんは肉を100キロ仕入れ、しかも支払わなかったため、最後は相撲部屋に請求がいったとか。

つまるところ、Yさんは詐欺師だった。

名前を明かせないわけだ。

私は被害はないが、今思うと、映画を作るんだが、ぜひ手伝ってほしいと言われていたのを思い出す。
そういうスキルや経験があるわけでも、時間があるわけでもなかったが、ぜひ、と言われて、正直、面白そう、と思っていた。
そのメンバーの一人を紹介したいから、来た時は会えよ、って言われていたが、きっと、その気にさせてから、映画のために必要とか言って、カネを取るつもりだったのではないか。

考えてみると、現代においては何をするにしてもお金がかかる。つまり、そこにだまし取る余地があるということだ。きっと、職業病が如く、そういう機会を常にうかがっていたのだろう。

そして、催促されたら、いやまだなんだ、ちょっと手間取っていて、とかいうのだろう。

たぶん、それをかなり本気で言えてしまうのだろう。

* * * * * * * *

私は月に一度弱くらいは見舞いに行くつもりだったから、迷った。
でも、やっぱり、行くべきでないですね。

今行きたいと思うのは、ほとんどが好奇心だ。彼は今までの自分の行動をどんな風に思っているのだろう?

そして、私はきっと挑発的なコメントをしてしまうに違いない。

ただでさえ、彼と関わってトラブルに巻き込まれる可能性は高いというのに。

義理はもう果たしたと言えるだろう。

* * * * * * * * *

病室のYさんを想像すると、最初にお見舞いに行って、帰るときのことを思い出す。
なんと言っていいか、わかりません。

「みんなで力を合わせる」の欺瞞

大阪府知事、市長のダブル選挙前に喫茶店で新聞を読んでいたら、維新を批判する候補者の、都構想を批判した後で、「今大事なのは力を合わせて大阪を元気にすること」というコメントがあった。

文脈から言うと、都構想の反対・賛成の両者が力を合わせるという主張になる。それはとても困難だと思うけれども、今求められていることだと思うし、ぜひ、維新とも力を合わせて大阪を元気にしていただきたいもの。

でも、ひたすら維新を批判している様子をみると、力を合わせる対象に維新やその支持者は入っていないようです。

日本では(というか海外のことは知らないのだけど)、「力を合わせて」とか「みんな」とかいう言葉が使われる時、大抵の場合、(自分たちと異なる意見を除く)という留保がついている。

それっておかしいと思うけど、そういう風に使われているケースがほとんどである以上、そういう表現を使う人を、そのような意味で理解してだいたい間違いないように思う。

つながりすぎる時代

少し前になるが、春に引き続き、関大の実習にオブサーバー参加した。

ネットジャーナリズムという授業名ながら、テーマはアプリの企画。こういうワークは大好きで、オブザーバーと言いつつ、あっちこっちのグループに入ってあれこれしゃべる。ちょっとしゃべり過ぎたかも・・

前回同様、なかなか面白いアイディアが出ていました。度胸ある学生もいて、よかったです。

ソーシャルメディア論で主張されていた、「つながり過ぎている」という実際、3回生なのに、大学の友人で濃い関係は少ない。今でも仲が良いのは、地元の中学時代あるいは高校時代のつながり。という話をじかに聞くとそーなっているのか、と驚く。

固定化されたつながりとは別に、自分の興味や能力にあった、別の世界とつながる、大学にあったそういう機能がソーシャルメディア全盛の時代では失われつつある、という。
だから、その外の世界をどれだけ見せられるか、そこに教育者として考えていると、藤代先生は話してましたが、このような先生は少数派でしょうね。

昔は、田舎のがちがちの世界から抜け出すことが若者の課題だった。極端な例なら、中島みゆきの「ファイト!」にある歌詞

出ていくならお前の身内もすめんようにしちゃるって言われてさ
うっかり燃やしたことにしてもやせんかったこの切符
あんたに送るけん持っといてよ滲んだ文字 東京行き

のような、息苦しさの世界。

私の世代では、そこから抜け出した後、都会で周りと薄い関係しか持てないことが問題にされていた。

時代はさらに進み、今度は、ソーシャルメディアによってつながりすぎることが息苦しくなる時代に入ったようです。

読書: ソーシャルメディア論 つながりを再設計する

藤代 裕之 さん編著
2015年10月出版

教科書の構成になっている。先月出版された本なので、内容は最新の情報になっている。ネット業界のことはある程度ウォッチしているつもりだけれど、「フィルターバブル」など知らない概念もいくつかあった。

「つながりすぎること」に著者たち(章ごとに著者は異なる)が強い問題意識を持っていることが印象的だった。

ソーシャルメディアが定着したのは、私の学生時代より後なこともあって、そこまで強い問題意識を持っていなかったが、おそらく著者たちは、教育の現場などで肌で感じているのだろう。

「都市」の章では、地縁や血縁から離れた無縁でいられる都市のメリットがソーシャルメディアによって失われつつある、という指摘はなるほどと思った。

この章では網野善彦の「無縁・公界・楽」が紹介されている。この本は私も興味深く読んだのだけど、ここで出てくるのは意外だった。

東京視点の「コンテンツイーター」から逃れる、意識的な「ソーシャル鎖国」についての議論は自分の考えが整理された気がする。

ソーシャルメディアにあふれる、煽って、PVを稼ぎ、消費される様をみて、その中で注目を集めることを仕事にしている人は、それはそれで、ひとつの職業だと思うが、とはいえ、辛い仕事だと思う。

その仕事の価値は、紹介しているコンテンツそのものではなく、ほかの人より早く、より目につくように紹介することにあるからだ。記事の蓄積の効果はあるが、単発勝負の繰り返しになる。

さらに自分自身のブランディングをこのような文脈と重ねてしまうと、自分の暮らしを切り売りしているようにも見えてしまう。

それは「コンテンツイーター」に消費される、ということなのだろう。だから、意識的に「ソーシャル鎖国」して守る必要があると。

最後の方で、このようなつながりの過剰な社会への処方箋として、「分人」という概念が紹介されている。小説家の平野啓一郎が「唯一の本当の自分」などなく、人は多様な「分人」を使い分けているという主張を掘り下げた制度についての言及があった。かれの主張は見聞きしたことがある。

でも、正直、詳しくは理解しきれなかった。方向としては同意するのだけれど、この「分人」という考え方にどうにも心理的に抵抗があって、しっかり読めなかった。時間をおいて読みたい。

 

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