現代アートについて考えた:知識について


ヘルシンキには美術館がたくさんあって、せっかくなので幾つか行ってみた。美術館に行くこと自体、ずいぶん久しぶりだった気がする。

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ヘルシンキ現代美術館では、特別展として韓国のCHOI JEONG HWAという人の作品が展示されていた。フィンランドに来てお隣の韓国かと思わなくもない。ただ、やはり行ったアテネウム美術館ではALICE NEELというアメリカの作家の特別展が開催されていて、街なかにはALICE NEELと書かれたポスターがあった。開催されている美術館の名前を変えれば、日本にあってもおかしくない。美術の業界だってグローバルなのだろう。

現代美術館で覚えている作品について列挙してみる。

・大きな「花」が膨らんだり、縮んだりするもの。大きいなと思った。
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・ちょっと変わったハンモック。実際に寝転べる。寝転んでみると、やはりハンモックだった。

・紙で蓋がされた壺がたくさん並んでいる作品。蓋をとって匂いをかぐとお香の香りがした。幾つか試したが、お香の香りだった。

・踊っている人のお尻のお肉が揺れる映像をひたすら流すという作品。座って観ていた子供2人を連れたお母さんは、しばらく座っていた後、苦笑いした。子供は黙っていた。変な雰囲気はなかった。ただ、これもまた、おしりだった。という感想しかない。

現代アートのほとんどは何らかにカテゴライズされることを嫌がるようだ。油絵で印象派といったら、なんとなくイメージがつく。それと違って、いきなり、作品が、どーん、とある。表現方法も様々で見慣れないものが多い。

前提知識なしで、さあ、観て、感じて。というわけだ。

こういう状況の場合、初めての人が頼りにするのは、本能に訴えるインパクトの強さとか、作者の知名度が、わかりやすい指標となりがちだ。

でもむしろ、作品に対しては、インパクトや作者の知名度はひとまず脇において、純粋に自分の感じるところに従って味わう、という風に有りたいもの。

それは芸術に限らない。例えば、日本酒なんかでも、最近は小さな酒蔵もいろいろなところに流通している。いいなと思った銘柄を覚えておいて、別の店で同じ銘柄を見つけて、そのとき飲んで、また美味しいと思えたら、とても満たされた気持ちになる。一緒に飲んでいる人に、これは美味しいんだ、なんてドヤ顔で言ったりする。

日本酒の知識があることを自慢しているのではない。自分が好きな日本酒を見つけたこと、再会できたこと、やっぱりそのお酒が好きだということ、それでちょっぴり人生が豊かになったと思うこと、について自慢しているのだ。

現代アートをお酒に例えば、メニューにあるものは基本すべて、日本酒とかビールとかいう既存のカテゴリにないもの、ということになる。

客は、アルコールが入っているという共通点だけを頼りに、ひたすら試して自分の好みを探すことになる。

なかなか自分の好みにたどり着くまでの道のりは険しそうだ。