現代アートについて考えた:感性について


カウナス美術館の地下の抽象画の作品を観ているとき、何かこう、訴えかけるものを感じた。


New photo by 中尾泰治 / Google Photos

ヘルシンキ現代美術館の感想で、現代アートは理解しづらく、「インパクトか作家の知名度に依存してしまう傾向がある」などと書いたけれど、それは一面に偏っている書き方だった。

この抽象画の意味を問われても、よくわからない。作品の時代背景、作家の意図もあるのだろうけれど、意味とは別に、感じるもの、感性に訴えるものがあるのだと思う。

芸術に限らずにあらゆる分野の作品には知識で理解できる側面の他に感性で感じる側面もあり、それらは絡み合っている。論理の最たるものとされる数学にだって美しさはある。ソフトウェアエンジニアの世界でも、設計を見て、綺麗だ、と思うことがある。

センスと言ってもいいかもしれない。センスはどちらかというと、目的がはっきりした分野で善し悪しをはかる能力で、感性というと、もう少し精神的な、もっというとスピリチュアルな分野もカバーしているような響きがある。

知識を持つことでセンス・感性が磨かれる面もあるが、良いとされるものをたくさん観る中でセンス・感性というのは磨かれるという話はよく聞く。

実際のところはわからない。

イヌイットの人たちは雪に対してたくさんの呼称があるという。あるいは、虹の色の見え方は民族によって違うという。そこには、知識と経験と歴史の中で積み重ねられた見方がある。

芸術作品は、様々な文脈を持った作家の感性に直接触れる機会と言えるのは間違いない。

その感性に触れる中で、自分の感性が拡張される、と、なんだかガリ勉タイプの発想な気がしないでもないが、そんな風になっていけたらいいなと思う。