物語 バルト三国の歴史


Kindleは便利で、unlimitedは旅先でとてもありがたい。もう少し周辺知識が知りたいと思って、「バルト三国」とかで検索すると何冊かただで読めた。unlimitedではなかったけど、「物語 バルト三国の歴史」は旅行をしていて一番知りたかった内容だった。事前に読んでいたら、なお良かったのですが。

リトアニアがラトビア、エストニアと雰囲気が違ったのは歴史的な経緯があったのですね。

ロシアの支配とナチスのユダヤ人迫害の記録はバルト三国のどの国にもみられた。そして、今でも、ロシアの脅威は消えていない。

農民ー地域貴族ー国の支配者という構造は日本でも類似していると思うが、言語が異なる人たちが支配する状況が長期間に渡るという状況は、ちょっと想像がつかない。

■メモ
・この地域はロシアとヨーロッパの接点として機能してきた。そのどちらかに接点を持ちたい勢力にとって重要な地域としてあり続けている。

・中世の都市同盟のハンザ同盟の東の一部として存在したことから、早くからヨーロッパの文化、経済を持っていた。

・ロシア、スウェーデン、ドイツ、ポーランドの勢力争いに常に巻き込まれてきた。

・13世紀にやってきたドイツ騎士団は、領地を持つ地元貴族となった。スウェーデンやロシアが支配していた時もその状況は変わらない。20世紀に至るまで7世紀に渡ってバルト・ドイツ人が支配層であり続けた。

・リトアニアは英雄の存在によってまとまっており、ドイツ騎士団を撃退した。その後、東方に領地を伸ばした。しかし、ポーランドと同盟し結びつきを深める中で、支配層の貴族は言語を含め、ポーランド化していった。結果として、エストニア、ラトビアのバルト・ドイツ人に当たる地位にポーランド化したリトアニア人が以後存在し続けることになった。

・リトアニアは発展のためにユダヤ人に自由を与えた。このため、北のエルサレムと言われるまでにユダヤ人が増えた。

・エストニア人、ラトビア人、リトアニア人は中世からずっと農民であり、支配層が住む都市にはいなかった。

・農奴開放(エストニアとラトビアでは農地は与えられなかったが)により、都市部に移住してきた。

・16世紀にプロテスタントに対抗するため、イエズス会はエストニア語、ラトビア語訳の聖書を普及させた。その後、バルト・ドイツ人のルター派が普及の際に教育にも熱心だったことから、19世紀後半の時点で、エストニア、ラトビアでは農村部でも9割近い識字率を誇っていた。一方、リトアニアは56%にとどまっていた。

・バルト・ドイツ人の貴族にとって、農民からの支持を得るための取り組みも必要だった。また、啓蒙思想も入ってきていた。こうした背景が農村部への教育に力を入れさせた。

・ロシアはバルト地域のドイツ人をヨーロッパの文化・技術を取り込む起点としたいという思惑から、当初バルト・ドイツ人に対する干渉が少なかった。

・バルト三国の国々が民族意識を覚醒するころ、この地域を支配していたロシアが彼らの動きに干渉しなかったのは、地元のバルト・ドイツ人の弱体化を望んだからとみられる。

・第一次大戦後、ドイツの敗戦・解体、ロシア革命により大国のパワーが空白となった。この期間にバルト三国は独立した。

・もともとリトアニアの首都ヴィリニュスには、リトアニア人はほとんど住んでおらず、ポーランド人、ユダヤ人が中心だった。ポーランドから見れば自分たちの土地という意識が強く、ロシア撤退後、ポーランドが占領した。

・第二次大戦後、難しい立ち位置に晒される。ソ連と冬戦争を戦ったフィンランドはヨーロッパ諸国の支援を得られなかった。バルト三国はソ連と不可侵条約を結ぶ。

・1939年8月23日に独ソ不可侵条約が結ばれるが、この際にバルト三国をソ連領とする密約があった。この条約が無効であり、その後のソ連支配は不当である、というのが現在に至るまでのバルト三国の主張である。

・ソ連の占領直後にナチスドイツが侵攻。占領後、多くのユダヤ人が犠牲になった。リトアニアでは17万人とも言われる。中世以来反映したユダヤ人社会は壊滅した。

・大戦後、再びソ連の支配が始まる。

・ソ連時代、ロシア移民の増加、出生率の低下が進んだ。1970年代、エストニア人、ラトビア人は高い民族意識を持っていながら、消滅する可能性すら高いという分析もされていた。

・ゴルバチョフはバルト三国を改革の先端とみなしていた。

・バルト三国の人民戦線組織は立ち上げ当初から連帯していた。

・1989年8月23日、独ソ不可侵条約から50年後に、ソ連への抗議として、タリン、リーガ、ヴィリニュスを結ぶ人の輪を作る。200万人が参加したとも言われる。